~なぜ彼らは「バグだらけの命令」で動けるのか?~
こんにちは、「たま」です。
前回は、ASDの脳を「高精細すぎるレンズ」に例えて、情報の受け取り方の違いをお話ししました。
今回はさらに一歩踏み込んで、その情報を処理する「脳内プログラム」の違いを解剖していきます。
私たちは多数派である「定型発達」の人たちを「自分たちとは違う不思議なOS(基本ソフト)を積んだマシン」として観察することで、この社会を生き抜くためのヒントを見つけることができるはずです。
ASDは「厳密なコード」で動くコンピューターである
皆さんは、コンピューターがどうやって動いているか想像したことはありますか?
コンピューターは、人間が書いた「コード(命令文)」に従って動きます。
そして、そのルールは「1ミリの曖昧さも許さない」という、極めて頑固で真面目なものです。
実は、私たちASDの思考回路は、このコンピューターの仕組みにとてもよく似ています。
何か行動を起こすとき、脳内で次のような「もし〜ならば(If…Then…)」という厳密な命令文が走っているイメージです。
もし(にんじんが120円以内)ならば → カゴに入れる
もし(120円を超えている)ならば → 買わずに帰る
ここで、コードに書いていない「125円だけど、すごく新鮮なにんじん」が現れたとき、私たちの脳はフリーズします。
「ルール」と「予測」が衝突し、プログラムに記述されていない例外に直面して、処理エラーを起こしてしまうのです。
定型発達は「曖昧なデータを補完する」魔法使いである
一方で、定型発達の人たちの脳を観察していると、私には彼らが『魔法』を使っているように見えます。
彼らは、相手の「にんじん、適当に安いやつ買ってきて」というバグだらけの命令(コード)を受け取っても、エラーを起こしません。
なぜなら、彼らのOSには「欠けているデータを勝手に推論して補完する」という、高度な機能が備わっているからです。
相手の表情、その日の献立、過去の傾向……。彼らは、言葉になっていないこれらの「周辺データ」を、目に見えないWi-Fiからダウンロードするように一瞬で同期し、「125円でも新鮮なら買うべきだ」という最適解を論理を飛び越えて導き出します。
なぜ「正論」を言うとエラーが出るのか?
この「プログラムの違い」が最も顕著に出るのが、対人関係です。
私たちは「厳密なコード」で世界を捉えているので、会話においても「事実」や「論理」という正しいコードを返そうとします。
しかし、定型発達の人たちにとって、会話の目的は「コードの正確性」ではありません。
彼らにとっての会話は、お互いのOSの『同期(共鳴)』そのものが目的なのです。
例えば、相手が「仕事でミスして最悪だよ」と言ったとき。
私たちが良かれと思って「手順Aが原因だから、次はBに気をつければ解決するよ」と修正プログラム(正論)を提示すると、なぜか相手は怒り出します。
定型発達のOSにおいて、この場面で求められているのは「解決策」ではなく、「僕も同じデータ(感情)を共有しているよ」という同期信号(共感)だからです。
【フィルタリング】「適当」という名の高度な処理
彼らがマルチタスクをこなしたり、騒がしい場所でも平気でいられたりするのは、OSに強力な『ゴミ箱機能(フィルタリング)』がついているからです。
彼らは、自分にとって重要でない情報を「適当に」捨て去ることに長けています。
いわば、低解像度のプレビュー画像だけを見て、サクサクと判断を下しているようなものです。
対して、私たちのコードは、すべてのデータを「等しく重要」として読み込んでしまいます。
背景の雑音も、1円の差も、相手のネクタイの曲がりも、すべてがメイン処理に割り込んでくる。
彼らが「10の力」で済ませていることを、私たちは常に「100のフルパワー」で処理している。
これが、私たちが人一倍疲れやすい理由の正体です。
【例外処理】「諦め」から生まれた、私なりの防衛コード
よく「ASDは予定変更が苦手」と言われますが、今の私、予定が変わってもあまり動じません。
しかし、これは私が「適応した達人」だからではありません。
むしろこれまでの人生で想定外の事態にフリーズし、周囲に怒られ、自己嫌悪に陥るという「致命的なエラー」を何万回も繰り返してきた結果なのです。
あまりにバグが多すぎて、私の脳は最終的にこう判断しました。
「『予定は思い通りにいく』という期待こそがエラーの元だ。最初から『世界はバグだらけだ』という前提で動こう」
これは前向きな適応というより、自分を守るための「究極の諦め」に近い防衛コードです。
もちろん、他のことに関しては、今でも「全然できないこと」だらけです。
会話のテンポについていけなかったり、感覚過敏に苦しんだり……。
ただ、この「世界は思い通りにいかない」という一行を脳に書き込んだことで、少なくとも「予定変更によるパニック」という大きなバグだけはなんとか回避できるようになったのです。
こういった『諦め=明らかに見る』から自分自身の取扱説明書(マニュアル)を少しずつ書き加えています。
この地道な積み重ねが、私がこの世界で生きていく上での「遠い近道」なのかと思っています。
【攻略戦略】「引き出し」という名の、泥臭い生存戦略
魔法が使えない私にできるのは、「この状況の時は、こうする」という具体的な解決策を、一つずつ「引き出し」にしまっていくという、途方もなく不器用な戦い方だけです。
定型発達の人が「感覚」で軽やかに飛び越える壁を、私は「数えきれないほどの引き出し」という物量で、一歩ずつよじ登っていきます。
正直に言えば、これらは「誰かのために」始めたことではありません。
まずは私自身が、この魔法使いの世界でバグを起こさずに生き抜くための切実な「防衛手段」として積み上げてきたものです。
私のブログの別カテゴリーにある「生存戦略」の記事は、まさにこの引き出しの中身を書き出したものです。
ただし、そこにあるのは感情を排して生き残るための「劇薬」のようなロジックです。
もし、あなたが今の生活に満足しているなら、あちらの記事は開かないことをお勧めします。
あまりに合理的で冷徹に映り、驚かせてしまうかもしれませんから(笑)。
でも、もしあなたが、この世界の曖昧さに溺れかけ、本当に命がけで「泳ぎ方」を探しているのなら……あそこに並べた引き出しが、あなたの命を守る「救命胴衣」になるはずです。
ひとつひとつは不器用な「引き出し」ですが、積み上げた結果として出来上がる「私オリジナルの攻略ログ」が、結果としていつか同じように防衛手段を必要としている誰かの道しるべになればいい。
そう思いながら、今日も私は失敗した経験を新しい引き出しの中にしまい続けています。
【結び】「魔法」と「ロジック」の共存
定型発達という「魔法使い」たちの世界で、私たち「コンピューター」が生きていくのは確かに楽なことではありません。
しかし、魔法使いにはできない「圧倒的な正確さ」や「一点突破の論理力」が、私たちには備わっています。
彼らの曖昧さを「羅針盤」として借り、私たちの厳密さを「エンジン」として提供する。
彼らの「潤滑油としての曖昧さ」がなければ、世界はもっと遊びのない、硬すぎる場所になっていたかもしれません。
お互いのOSの強みを認め合い、足りないコードを補い合うことができたとき、この世界はもっと自由で、効率的な場所に変わるはずです。
次回は、私が自分の身を守るために解析し続けてきた、定型発達の人たちが無意識に行っている「暗黙の了解」という名のルールを、一つずつ論理的に解体していこうと思います。
もしあなたが、誠実な「正論」を伝えたはずなのに相手を怒らせてしまい、対人関係に絶望しているなら、自分を責めないでください。
それは、あなたの誠実さが足りないのではなく、論理重視の「異国OS」と、感情の同期を優先する「定型OS」の通信エラーです。
まずは「正論は解決策ではなく攻撃と受け取られることがある」という仕様を理解し、共感の定型文を「引き出し」として用意するだけで、衝突は劇的に回避できます。






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