本記事は、ASD当事者である私が不条理な社会というクソゲーを生き抜くために脳内バグをデバッグした結果をまとめたものです。
医学的・専門的なアドバイスではなく、あくまで個人の生存戦略としての記録であることをご了承ください。
――不条理な世界と互換性の無いOSから出力された、論理的且つ実戦的な検証データが、同じ仕様(アーキテクチャ)を持つあなたの脳の静寂をもたらす一助となれば幸いです。
私はASD(自閉スペクトラム症)の当事者だ。
物事を考えるとき、まずは「事実」と「ロジック(論理)」をベースに答えを出し、そこに後から感情や配慮を乗せていくのが正しい手順だと考えている。
しかし、世の中の大多数を占めるいわゆる「普通の人たち(定型発達の人たち)」の社会は、そうは回っていない。
彼らの社会は、事実やロジックよりも、その場の空気や「お気持ち(感情)」が最優先される。
それが今の世界を成り立たせているシステムであることは理解しているし、世界が急に180度変わるとも思っていない。
だが、事実ベースで物事を見ている私からすると、この「お気持ち社会」にはどう考えても理屈に合わない、巨大な「バグ」としか思えない矛盾がいくつも存在している。
今回は、私がずっと抱き続けてきた一つの根本的な疑問について書いてみたい。
誰の「お気持ち」を優先しているのか?
社会はよく「人の気持ちを大切にしよう」「相手の立場に立って考えよう」と言う。
お気持ち優先の社会であるならば、それは誰に対しても、どんな状況でも平等に適用されるべきルールのはずだ。
しかし、現実を観察していると全く違う。
私が最も疑問に思ったのは、「お気持ちベースの社会のはずなのに、集団の単位が小さくなればなるほど、そして相手が自分に近ければ近いほど(家族やパートナーなど)、相手のお気持ちではなく『自分のお気持ち』を優先し始める」という現象だ。
社会という大きな集団の中や、そこまで親しくない人たちの前では、彼らは自分の気持ちを「押し殺して空気を読んでいる」ように見える。
しかし私に言わせれば、それは他者への配慮などではない。
多数派の中で自分の意見を言っても声が通らないと分かっているから、あるいは批判されて自分が損をするのが怖いから、ただ黙って「逃げている」だけだ。
決して他人の気持ちを優先しているわけではなく、批判されるリスクから逃避しているに過ぎない。
それなのに、関係性が1対1になり、反撃されない安全な相手(身近な存在)になった途端、その態度はひっくり返る。
本来なら、1対1の対等な関係であるなら、お互いがお互いの気持ちを優先し、譲り合いが起きなければならないはずだ。
ところが実際には、片方がもう片方に対して「なんで私の気持ちを分かってくれないの!」「私を優先してよ!」と強要し始める。
相手のお気持ちを慮(おもんぱか)るどころか、自分の感情を100%押し付ける、ただの「わがまま」に変貌するのだ。
これは明らかにロジックが破綻している。
「私が悲しいのだから、あなたも悲しむべき」の異常性
身近な関係で起きるこの矛盾を、もっと具体的な事実ベースで解剖してみよう。
例えば、相手が何か嫌なことがあって悲しんでいるとする。
そして私に対して「私がこんなに悲しいのだから、あなたもそれに寄り添って私を慰めるべきだ」と要求してくる。
彼らに言わせれば、それが「お気持ちを組む」ということらしい。
しかし、事実として、私は悲しくないのだ。
私が悲しくない以上、悲しむ必要はないし、それが「私のお気持ち(事実)」である。
もし本当にお互いの気持ちを尊重し合う社会なのであれば、「あなたは悲しいんですね。でも私は悲しくありません」という事実もまた、同時に尊重されなければならないはずだ。
それなのに、私がその事実を突きつけると、彼らは「冷たい」「人の気持ちが分からない」と怒り出す。
ここにあるのは、相手の気持ちの尊重などではない。
「私が悲しいのだから、手足であるお前も同じように悲しい顔をして、私を慰めるシステムの一部になれ」という強要だ。
言い換えるなら、「私のお気持ちに、お前も同期しろ」という支配でしかない。
自分の思い通りにならないと怒る。
それは、なんとなく「感情」や「お気持ち」という柔らかくて見栄えのいい言葉で包んでいるだけで、その皮をめくって出てくるのは、極めて自己中心的でわがままな本性ではないだろうか。
お気持ち社会の正体
「人の気持ちを大切にする社会」というのは、巨大な嘘だ。
彼らが大切にしているのは、誰かの気持ちではなく「自分のお気持ち」だけだ。
事実やロジックというブレない軸を持たず、ただ「自分の感情(快・不快)」をベースにやり取りをしているからこそ、相手との距離感によって態度がコロコロ変わり、相手の気持ちを踏みにじるような矛盾やバグが平気で起こる。
では、なぜ彼らは、外の世界(社会)では空気を読んで逃げているのに、内側の世界(身近な人)に対してだけ、そんな理不尽なわがままを押し付けてくるのだろうか。
世間ではよく「外の世界で同調圧力に気を遣って我慢しているから、そのストレスの反動が家で出ているんだ。だから身近な人はそれを受け入れてあげるべきだ」という擁護論が語られる。
しかし、私はそうは思わない。彼らは「我慢」しているわけではないのだ。
次回は、この「外のストレスの反動」という都合のいい言い訳を解体したい。
「お気持ち社会であるなら、集団単位が小さくなったとしても相手の気持ちを慮る必要があるはずなのに、なぜ集団単位が小さくなるほどエゴをむき出しにするのか」。
その矛盾の正体について考察していく。
【「お気持ちの同期強要」というバグを遮断し、事実ベースで自他の境界線を守るための『補給物資』】
【同調圧力ファイアウォール】「空気」という名のシステムノイズを受信しつつ、実行は拒否するための最強の処世術
記事で指摘されている「外の世界では空気を読んで逃げているだけ」という定型社会のバグ(世間)の正体を、極めて分かりやすく解剖した名著です。
「空気を読む(データを受信する)」ことと、「それに従う(システムを同期する)」ことを完全に切り離す手法を教えてくれます。
ジュニア新書なので読書初心者でもサクサク読める軽い動作環境でありながら、「お気持ちの同調圧力」を無効化し、事実とロジックで息苦しいクソゲー社会を生き抜くための強力なファイアウォールとなります。
【ファイアウォール実装プラグイン】「お気持ちの同期」という侵略行為を論理的に遮断する、境界線防衛のマスターピース
記事にある「私が悲しいのだから、あなたも悲しむべき」という定型特有の理不尽なバグを、論理の力で完全に無効化するためのOS(アドラー心理学)です。
本書のコアである「課題の分離」というロジックは、「あなたが悲しいのは『あなたの課題』であり、私がそれに同期してあげる義理はない」と、自他の境界線を物理的な壁のように明確に切り分けます。
哲人と青年の「対話形式」で書かれているため、読書初心者でもライトノベルのようにサクサク読める仕様でありながら、その論理の強固さは最強クラスです。
社会というクソゲーを攻略するためのデータを募集しています。あなたが遭遇した「理不尽な状況(バグ)」を教えてください。私が独自のロジックで解析・デバッグし、攻略データとしてブログで還元します。
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