本記事は、ASD当事者である私が不条理な社会というクソゲーを生き抜くために脳内バグをデバッグした結果をまとめたものです。
医学的・専門的なアドバイスではなく、あくまで個人の生存戦略としての記録であることをご了承ください。
――不条理な世界と互換性の無いOSから出力された、論理的且つ実戦的な検証データが、同じ仕様(アーキテクチャ)を持つあなたの脳の静寂をもたらす一助となれば幸いです。
前回の記事では、お気持ち社会で生きる人たちが、外では損をするのが怖いから黙って逃げているだけであり、自分が優位に立てる安全な密室(身近な関係)に入った途端、自己中心的な本性をむき出しにすることを書いた。
今回は、彼らが振りかざす「感情」や「お気持ち」という言葉の裏に隠された、グロテスクな力学について暴いていきたい。
イニシアチブを取りたいというエゴの肯定
誤解のないように言っておくが、私は「人間にエゴ(わがまま)があること」自体を否定しているわけではない。
人間である以上、ASDで論理を最優先する私ですら、「自分を優位に立たせたい」「イニシアチブ(主導権)を取り続けたい」という気持ちはある。
それは生物として当然の欲求であり、それ自体はどうしようもない事実だ。
問題はそこではない。
私が最もストレスを感じるのは、彼らが自分のエゴを通そうとするときに、それを「相手の気持ちを思いやる」といった嘘の言葉で美化し、隠そうとすることだ。
「私は自分が優位に立ちたい」という事実を前面に出してくれた方が、よっぽど分かりやすい。
「なるほど、お互いにエゴがあるね。じゃあどこで妥協するかロジックですり合わせよう」と建設的な議論ができるからだ。
しかし、彼らは絶対に事実をむき出しにしない。
代わりに彼らが使うのが「感情」というチート(反則)武器だ。
50:50の天秤と、感情という「重り」
なぜ彼らは、1対1の身近な関係になった時に限って「感情」を盾にするのか。
人間関係のパワーバランスを「パーセンテージ」で考えれば、極めて論理的に説明がつく。
たとえば3人の集団になれば、パワーバランスは「33:33:33」だ。
そこに「私個人の感情」という重りを乗せても、過半数(50%超)を取ることは数学的に不可能であり、むしろ「空気が読めない」と弾き出されるリスクがある。
だから彼らは多数派の前では感情を隠す。
しかし、1対1の関係は「50:50」の均衡状態だ。
このフラットな天秤を自分側に傾けてイニシアチブを握るためには、自分の皿にほんの少し「重り」を乗せればいい。
もしここで「ロジック」を重りとして使えば、相手もロジックで反論してくるため天秤は傾かない。
だから彼らは、相手が絶対に反論できない「私は傷ついた」「私の気持ちを分かって」という『感情』を重りとして乗せるのだ。
ロジックで反論できない感情を乗せれば、天秤は簡単に「51:49」となり、自分の支配が確定する。
最凶のルール「感情の先出しジャンケン」
しかもこの「感情の重り」は、極めてタチの悪いルールを持っている。
「先に出した方が圧倒的に有利(早い者勝ち)」なのだ。
相手が先に「私(の感情)を大事にして」と感情を出した瞬間、相手はすでにロジックという舞台から降りてしまっている。
舞台がないのだから、こちらがどれだけ正しい事実やロジックで反論しようとも、絶対に刺さらない、無敵状態だ。
では、こちらもロジックを捨てて「じゃあ、僕の感情も大事にしてよ」と同じように感情の重りを返せばいいのだろうか?
残念ながら、それも通用しない。
相手はすでに「傷ついた被害者」のポジションを先取りしている。
だから、こちらが感情で対抗しようとすると、相手はこう言うのだ。
「僕の気持ちを大事にしてと言うことは、今傷ついている私の感情を『無視する』ということだね?」と。
相手が先出しした時点で、こちらは「要求を一方的に飲む」か「相手を無視する冷酷な加害者になる」かの2択を強制される。
感情を感情で返すことすら、論点をすり替えられて封じられてしまうのだ。
「思いやり」や「感情の共有」などという綺麗なパッケージに包まれているが、実態はただの自己中心的な独裁ゲーム。
理不尽な先出しジャンケン。
それが「お気持ち社会」の真の姿である。
では、こんなバグだらけの世界で、論理優位の人間はどう生きていけばいいのか。
最終回となる次回は、この社会をただ「生き抜く」ということについて書きたいと思う。
社会というクソゲーを攻略するためのデータを募集しています。あなたが遭遇した「理不尽な状況(バグ)」を教えてください。私が独自のロジックで解析・デバッグし、攻略データとしてブログで還元します。
[ 理不尽バグ報告フォームへ ]
https://forms.gle/JEJTebd9gpn6opBw6





コメント