本記事は、ASD当事者である私が不条理な社会というクソゲーを生き抜くために脳内バグをデバッグした結果をまとめたものです。
医学的・専門的なアドバイスではなく、あくまで個人の生存戦略としての記録であることをご了承ください。
――不条理な世界と互換性の無いOSから出力された、論理的且つ実戦的な検証データが、同じ仕様(アーキテクチャ)を持つあなたの脳の静寂をもたらす一助となれば幸いです。
前回は、ASD(自閉スペクトラム症)にとっての結婚生活がいかに過酷か、その致命的なデメリットを解剖した。
「察する」という非言語プロトコルを24時間強制され、ダウンタイム(一人時間)を奪われる家庭は、もはや異文化の収容所に等しい。
ロジックだけで考えれば、即刻システムから離脱(離婚)するか、最初からシステムに参入しないのが絶対的な正解である。
しかし、私は過去にこの理不尽な契約書(婚姻届)にサインをし、現在もこの息苦しいシステムの中に留まっている。それはなぜか。
世間的な体裁のためでも、愛や絆という実体のない感情のためでもない。
私自身が結婚というシステムに対し、ある種の「理不尽で逆説的なメリット」を見出し、自分自身に強く言い聞かせてきたからだ。
今回は、ASD当事者だからこそ享受できる、結婚の「真の機能」について解剖していく。
自由という名の恐怖と、感情という「ソフトウェア」への不信
定型発達の人たちは、「愛」や「信頼」といった目に見えない「お気持ち(感情)」をベースに人間関係が維持できると信じて疑わない。
彼らにとって、関係性とはアップデートし続ける「ソフトウェア」のようなものだ。
しかし、ASDのOSを持つ私にとって、他人の「お気持ち」ほど不確実で、形がなく、信じられないものはない。
事実として計測できず、その日の機嫌や空気でコロコロと仕様が変わるものを、どうして人生の基盤として信用できるというのか。
さらに言えば、ASDにとって「しがらみが一切なく、完全に自由で、何者でもない状態」というのは、定型社会が思うようなパラダイスではない。
それは、明確なルールやマニュアルが存在しない「無限の選択肢の海」に丸腰で放り出されることを意味し、極度の混乱と恐怖を伴うものだ。
だからこそ、私には他人の不確実な気持ちを補うための、物理的で強固な「ハードウェアの縛り」が必要だった。
「名字を同じにする」
「戸籍をいじる」
「法的義務を負う」
この逃げ場のない物理的なルール(鎖)で縛り上げられることによって初めて、「この関係は明確な契約に基づいている」という事実ベースの安心感を得ることができる。
自由を奪われ、拘束具をつけられることで、逆に精神的な安定を得る。
それはある種、M的な心理構造と似ているかもしれない。
だが、他人の感情が読み取れない人間にとって、ルールで縛られることほど明確で「優しい知恵」はないのだ。
「役割」という究極のマスキング装置
この「縛られることの安心感」は、家庭内だけでなく、社会全体に対する生存戦略としても強烈に機能する。
結婚システムがASDに与える最大のメリット、それは「夫・妻」や「父親・母親」という明確な役割(台本)の強制付与である。
ASD当事者は、定型社会の中で「普通」に擬態するために、常に多大なリソースを割いてマスキング(特性を隠して適応すること)を行っている。
しかし、独身で完全に自由な状態のままでは、いずれこのマスキングのモチベーションは限界を迎える。
もし私が一人だったなら、どこかのタイミングで社会のレールに合わせることを放棄し、ASDの特性や極端な思考を全開にして生きていたかもしれない。
結果として、社会から完全にドロップアウトし、破滅的な孤立を招いていた可能性は極めて高い。
しかし、結婚し、家族を持つと、定型社会は私に強制的に「親」「世帯主」という役割を被せてくる。
「子どもが保育園や学校に通う以上、周りから『変な親・変な家庭』だと思われてはいけない」
「家族を路頭に迷わせるわけにはいかない」
この強烈な外圧が、結果として私を定型社会に繋ぎ止める「重り(アンカー)」として機能するのだ。
「夫・妻」や「父親・母親」という不自由な役割は、ASDにとって、社会のレールから外れないための「強制ギプス」である。
ギプスをつけられている間は窮屈で息苦しい。
しかし、そのギプスがあるおかげで、私の社会的な骨格は崩壊せずに維持されている。「家族がいる」という事実が、定型社会に対するマスキングを継続するための、最も強力な動機(モチベーション)となっているのだ。
代償としての「濃い疎外感」
「社会からの孤立を防ぐ外的な矯正装置」
これこそが、私が結婚システムに見出した最大のメリットだ。
しかし、この強制ギプスには、当然ながら重い代償が存在する。
独身の孤独は、完全な「自由」と引き換えの寂しさだ。
対して、家族の中での孤独は違う。
物理的に同じ空間に他者がいて、定型社会のプロトコル(情緒的共感)を要求され続ける中で、「どうしても理解し合えない」という事実を毎日突きつけられる。
それは、「同じ空間にいる異物」としての、煮詰まったような濃い疎外感を生み出す。
1人なら存在しないはずの「もしかしたら分かってもらえるかもしれない」という1%の期待(ゴースト)が湧き上がり、そして見事に打ち砕かれる。
そのサイクルを繰り返す家庭内は、精神的な摩耗の極致である。
ギプスのおかげで社会への適応は保たれているが、ギプスの内側の皮膚は常に擦り剥け、血を流している。
これが、ASDが結婚システムを利用する上で支払わなければならない「不自由さの対価」だ。
絶望の先にある生存戦略へ
これまで4回にわたり、結婚というシステムのバグ、定型社会との評価基準のズレ、そして強制ギプスとしての理不尽なメリットを解剖してきた。
現代の結婚システムは、間違いなくコストに見合わない欠陥品である。
他人に勧めることなど絶対にできない。
しかし、私を含め、すでにこの「バグったシステム」の中に組み込まれてしまった人間は、どうやって残りの数十年の運用を乗り切ればいいのか。
ギプスの内側で血を流し続けながら、ただ耐えるしかないのか。
答えは「否」である。
このシステム内で生き残るための方法は、たった一つ。
定型社会が押し付けてくる最大の呪い、すなわち「家族なんだから、話し合えば心は通じ合う」という甘いファンタジーを、自らの手で完全に殺すことだ。
社会というクソゲーを攻略するためのデータを募集しています。あなたが遭遇した「理不尽な状況(バグ)」を教えてください。私が独自のロジックで解析・デバッグし、攻略データとしてブログで還元します。
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