本記事は、ASD当事者である私が不条理な社会というクソゲーを生き抜くために脳内バグをデバッグした結果をまとめたものです。
医学的・専門的なアドバイスではなく、あくまで個人の生存戦略としての記録であることをご了承ください。
――不条理な世界と互換性の無いOSから出力された、論理的且つ実戦的な検証データが、同じ仕様(アーキテクチャ)を持つあなたの脳の静寂をもたらす一助となれば幸いです。
現代社会において最も巨大な「バグ」を抱えたまま、今なお稼働を続けているレガシーシステム(時代遅れの古い制度)。
それが「結婚」だ。
今回は、この結婚というシステムが過去にどのような役割を持ち、そして現代においていかに論理破綻を起こしているのかを、感情論を一切排除して淡々と解剖してみたい。
紙切れ1枚で残り半世紀を拘束する「理不尽」
現代において、人はだいたい20代から30代、晩婚化が進んだ今でも40代までには「結婚」というシステムに組み込まれる人が多い。
日本人の平均寿命はおよそ80歳だ。
仮に30歳で結婚したとすれば、残りの50年という膨大な時間を、ひとつのシステムに縛り付けることを意味する。
冷静に考えてみてほしい。
半世紀にも及ぶ個人の自由とリソースの放棄という極めて重い契約が、役所に提出するたった「紙切れ1枚(婚姻届)」にサインするだけで成立してしまうのだ。
さらに言えば、システムから抜け出す時も、形式上は「紙切れ1枚(離婚届)」である。(実際には後述するように莫大な撤退コストがかかるのだが、入り口と出口のシステム自体は異様なほど簡素に作られている)。
人生の残り数十年を、たった1枚の紙切れで他者と縛り合い、排他的に拘束される。
この事実をロジックとして捉えたとき、私はずっと「なんと理不尽なシステムだろうか」という強い違和感を抱き続けてきた。
無意識に回避される「欠陥システム」の仕様
誤解のないように言っておくが、現代の若者や社会人が、思考停止して結婚というシステムに群がっているわけではない。
事実として、生涯未婚率は年々上昇し、結婚を選択しない人々は確実に増えている。
これはある意味で極めてロジカルな現象だ。
社会全体が、無意識のうちに「現在の結婚システムはコストに見合わない(バグがある)」と察知し、防衛反応として回避し始めているのだ。
では、なぜ回避されるのか。
結婚という制度を、感情論を一切排除して純粋な「労働契約」として可視化してみよう。
- 業務内容: 明確な定義なし(その場の空気と相手のお気持ちを察して都度対応すること)
- 拘束時間: 24時間365日(明確な休憩時間やダウンタイムの保証なし)
- 報酬: 愛、絆、やりがいなどの実体のない情緒的価値
- 解約条件(退職): 双方の完全な合意が必要。合意に至らない場合、家庭裁判所での調停、数年にわたる精神的疲労、および多額の財産分与をペナルティとして支払うこと。
ロジックで考えれば、これほどリスクが高く、仕様(スペック)の曖昧な契約はない。
しかし、この異常な紙切れ1枚の契約システムは、かつては極めて合理的に機能する時代が存在したのだ。
かつて機能していた「生存リスクの分散」
昭和から平成初期にかけて、結婚には明確な「構造的メリット」が存在した。
それはシステムとして非常に優秀な「リスクヘッジ型共同事業」だったのだ。
当時の社会構造では、「一方が外で労働力と時間を資本に変換し(稼ぎ手)、もう一方が家事と育児という生活インフラを維持する」という明確な役割分担が成立していた。
これは、個人の能力やリソースの偏りを相互補完する極めて合理的な仕組みである。
病気や失業といった人生の突発的リスクに対しても、世帯という単位でアセット(資産・労働力)を共有することで、生存のセーフティネットとして十分に機能していた。
しかし、現代はどうだろうか。
経済成長が止まり、共働きが前提となった現代において、結婚はリスクヘッジではなく、むしろ「リスクの共倒れ(相互連鎖障害)」を引き起こすシステムへと変貌している。
一方が病気やメンタル不調で倒れたり、離職したり、親の介護が必要になったとき、もう一方は自分のリソースを削ってその全責任を引き受けなければならない「法的義務」を負う。
単身であれば、自分が倒れた時は「自分の生活レベルを下げる」だけで済む。
リスクは自分一人の中に収束し、コントロールが可能だ。
しかし結婚システムに組み込まれると、パートナーの抱える不確実なバグが、ダイレクトに自分の人生のシステムダウンを引き起こす要因となる。
リスクヘッジをしたいなら、民間保険や公的福祉を活用し、単身で資産形成をする方がはるかに確実で計算が立つ。
現代において「生存リスクの分散」というメリットは、完全に形骸化している。
無効化された「信用ステータス」というプロテクター
もう一つの過去のメリットとして「社会的信用の獲得」があった。
かつての定型社会では、「結婚して家庭を持ってこそ一人前」という強烈な評価基準が存在した。
結婚していることが、会社での昇進、住宅ローンの審査、さらには周囲からの「まともな人間である」という承認を得るための「必須の通行手形(プロテクター)」として機能していたのだ。
しかし、これも現代では無効化されている。
未婚化が進み、ライフスタイルが多様化した現在において、「独身だから信用できない」と評価を下す企業や機関はほぼ消滅した。
与信や住宅ローンの審査も、個人の年収と勤務先の属性という「事実ベースの数字」だけで淡々と決まる。
それどころか、ビジネスの現場においては、結婚していることが逆に「機動力の低下」という制約として評価される場面すらある。
「子どもの熱で休まなければならない」
「家族の同意がないと転勤できない」。
これらは人間として当然の権利だが、資本主義のシステムから見れば、単身者よりも明確に「可動域が狭いリソース」として可視化されてしまう。
もはや、結婚は「社会的信用」を担保する装甲としての機能も失っているのだ。
コストだけが据え置かれた欠陥契約
解剖の結論をまとめよう。
現代の結婚システムとは、「『生存リスクの分散』と『社会的信用』という2大メリットが完全に消失したにもかかわらず、支払うコストだけが昔のまま据え置かれている、構造的な欠陥契約」である。
得られるものが激減しているのに、可処分時間、可処分所得、そして「自分の意志だけで物事を決定する自由」という莫大なリソースを、残り半世紀もの間、排他的に拘束され続ける。
例えば、自分の稼いだお金で数千円のものを買うのにも、休日にたった数時間一人で静かに過ごすのにも、いちいちパートナーの「お気持ち」を伺い、合意形成のコストを支払わなければならない。
メリットが空洞化していることに気づかず、昔の感覚のまま「結婚すれば幸せになれる」という曖昧な期待でこのシステムに参入すれば、「聞いていたメリットが何もないのに、コストだけが重すぎる」と絶望するのは、ロジックとして当然の帰結である。
婚姻率の低下は、この理不尽に対する社会の正常なアラートなのだ。
では、この一切のメリットが空洞化した現代の結婚システムにおいて、感情論を抜きにした「真の損得勘定」とは一体何なのか。
次回は、現代の結婚にわずかに残された「機能」と、致命的なデメリットについて、さらに深くメスを入れていきたい。
【「感情論」というオブラートを完全消去し、不条理な社会システムの裏コード(現実)を暴き出すための『補給物資』】
【レガシーシステム構造解析プラグイン】感情論を一切排除し、人間関係を「資本のポートフォリオ」としてドライに数値化する禁断の書
今回の第1回で解剖した「結婚の消滅したメリットと欠陥契約」というテーマに、これ以上ないほど合致する一冊です。
著者の橘玲氏は、世間の「お気持ち」や「道徳」を徹底的に排除し、事実と論理だけで社会システムを解剖するプロフェッショナルです。
本書では結婚や家族を「社会資本(ネットワーク)」という一つのインフラとして定義し、現代においてそこに時間と資産をフルコミットすることが、いかにハイリスク・ローリターンな契約であるかを冷徹に証明しています。
読者が「結婚=愛のゴール」というバグった初期設定から抜け出し、社会の真の損得勘定をインストールするための、完璧なチュートリアル本になります。
社会というクソゲーを攻略するためのデータを募集しています。あなたが遭遇した「理不尽な状況(バグ)」を教えてください。私が独自のロジックで解析・デバッグし、攻略データとしてブログで還元します。
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